SpringBOY育成日記

子育て早生まれ男子

あれからの私

数億年ぶりにこのブログへ戻ってきた。

はい、SNSもいいけどやっぱり本音は吐き出せない。誰かに伝えたい、誰かに読んでほしい、誰かに見てほしいという

思いであげていることも多いのかもしれない。

今日改めて、週一回の英語の塾のレビューを行った。
息子は、間違えたらダメだと思って、間違えているところを消して鉛筆で書き直して、赤丸をつけていたのだ。
この原因は、私のプレッシャーのせいだろう。

息子の英語のことで言うと
小1で初めて週一回を半年間行い、その系列の学童が空いたので、10月ぐらいからその学童に
学校がえりに19時まで滞在。滞在中は英語のアクティビティや、授業、算数、国語までも面倒見てくれる。
(算数、国語は見てくれると言っても片手間のサポート)
学童初めはとても嫌がった。「家に帰りたい、お母さんに会いたい、お母さんと一緒にいたい」と。
何度も辞めることを検討したけれども、私はその勇気がなく、そしてその学童の方が英語を習得できるであろうと思い込み
小3の終わりまで続けさせた。

それが原因だ。
その後、第一段階のクラスはクリアしたものの第二段階のクラスを小2でクリアすることが出来ず、
小3もその同じクラスを受講した。
そして小3の秋に、先生に「このままだと次のクラスには上がれません。全力でサポートしますが、春までにできるようにはならないだろう」と。
そこから19時に帰ってきて学校の宿題を終わらせ、スペリングを頑張ったものの、
やはり先生の読み通り、難しそう。英語がまず嫌いになった。

そして四年生から学校の授業も増えるので帰宅時間的に次のクラスに上がれたとしても、
また下の学年の子と授業を受ける息子は劣等感を感じるだろう。
小4から週一回の同系列の授業へスライドした。が、同じクラスということは彼なりに認識しているようだった。

今週で5回目の授業が終わり、毎週行われるクイズという名のテストは8か10点。
モチベーションのため、10点になったら本屋さんで本を買っていいよという約束を決めて、
また2回10点だったら、付録付きの本でもいいよと。
今週はその付録付きの本を買った、もちろんレーシンクカーが付いているもの。

でだ、復習を家で行った際に、上記の全部直して満点にするという行為が私がきづいいた。
それに対してもとても怒った。小学校受験の時のように彼は泣きじゃくった。
冷静さを逸脱して久しぶりにこんなに怒った。

間違えることへの恐怖、というかプライドなのか私に見られるであろうということへの隠し事。

私は、何を息子にこんなことをさせるために、英語塾に通わせているのではないが、どこか何かが彼にした行為がそうさせてしまったのだ。

そして私は、一緒にレビューをして疲れはて、お風呂に彼は入り、一緒にいつも寝ていたが、1人でねれるよね?と強要じみた言い方で、
彼は拗ねて1人で寝入ってしまった、その時刻11時。

はぁ、彼に集中力や好奇心、夢中になれることをむしりとっているのは私だ。

四年生になり帰り時刻が遅くなったのにも関わらず、
空いている曜日に新しい彼に向いてそうな(勝手な判断)習い事、学びの場を今入れようとしている。

彼はそんなに欲してないのに。

だめだ、だめだ。

何も私は変わってない。

それを記すためにこのブログに戻ってきた。

素直な子供

親がどういうか、どう話しかけるかによって

素直に反応する子供。

 

小学校受験を終えて、親の期待に応えたいという精神年齢や、

ここに行きたいという強い気持ちがないとやっぱり成り立たない、

早かった、時期をみあまった気もする。

 

年少からもう勝敗は決まっているような気がする。

年少からできる子はできるし、この子は???という子はこの子はという結果に

最終的になった気がする。

 

我が家も含めて。

 

一言でも「もし御縁がなかったら公立でいいし」と言っていた

親子は公立にいく。

 

けど公立が悪いわけではなくて、あったかくきめ細やかに

そこのにあった指導をしてもらえるのは私学ならでは。

教育に一応興味のある熱心が家庭が多いのは私学ではある。

私学もピンキリだから、学費も通えなくない。

 

我が家も私学に行くが、進路先は私のプライドや偏見、

言ったところで知らない学校だろうという目測で、二人にしか学校名は明かさなかった。

結果、私は、まだ今もなお学校の備品に名前をつけるのが辛い。

誰にも言えない、子供にも言えないけど旦那もいないし、誰にも開かせない。

 

けどしなきゃいけない、こと。

この学校か、という気持ちで通うのはお互いよくない。

これが現実だ。

 

英語教室が開始したのだが、場所柄的に私学の子が多く、

行かせたかった学校の子も中に入るかもしれない。

 

それに精神的に乗り越えられるのか。

 

子供は素直だ。

偏見はない、今を生きている。

 

一緒にいて色々してあげられなくて頭が痛すぎてできないこともあるが、

素直に反応する。

 

卒園式まで担任の先生に睨まれ怒られ、

謝恩会で友達に少し手を出し、泣かせ喧嘩になる子供は

どうなのか、私が全て悪いんだろう。

 

はあ、母親になれる人を神様はなぜえらばなかったのか。

 

特別な子育て

SNSで情報が発振受信できる現代。

 

他者との比較も顕著にできるようになった。

逆にしやすくなったし。親は疲れる。

 

特別な子育てをしている人も目につく。

親の教養や探究する力が子供の経験にも結びついているような気がして

長期休みや日々の習い事、生活方法など

怖い時がある。

母親の力量が試されるからだ。

 

我が子は今日春休みに入り

毎朝やりたいことを聞いてあげたい。

今日は、花粉症でもあるので、家で車で遊びたいと言っていたので一日中

家で過ごした。

途中、仕事の用事があったのでサイクリングをしたが、

課題も終わらせ、春休みはのんびり過ごしたい。

 

親のデトックスもかねて。

 

 

卒園式、謝恩会に出席してみて

我が子が通っていただのは、全員が小学校受験をする

老舗?幼稚園。

 

11月1週目が終わり結果がポツポツで始めた時は、

それぞれのお母様の顔色をみて結果を探り合う、独特の幼稚園。

 

幼稚園でも小学校受験で重きをおくペーパーを希望者だけ取り組む

幼児教室化した幼稚園。

 

合理的というばそうだが、残酷でもあることは確か。

毎日園庭を楽しく走り回っていた仲間の中で

ランキングをされるという事実。

そして子供のそれぞれ相当なストレスを受けているので

あからさまないじめ問題もあることも事実。

 

我が子は鈍感な性格なのでいじめられているという認識はなく

幾度となく嫌な役回りをさせられていた。

先生達に相談しても後日フォローが軽くあるだけだ。

 

何が嫌だったかというと、我が家は理想通りには結果がついてこなかったので、

結局のところ、子供の実力というか行けば受かるというところへ進学する

世帯年収も一般的に普通な方々が通う学校だ。

 

そんなこともあり結果の口外や、進学先の事情を話すのを半年間隠し続けてきた。

結果がどうであれ、事実は変わらないし、補欠も世界が逆転しても繰り上がらない。

 

奇跡は起きなかった。

起こせなかったと言った方が正しいだろうか。

 

子供は、応援グッズとして買ったものでまだ遊んでいるが、

親はそれをみると胸が痛み、結果をすべて補欠で感じ取ったものもあるし

くじで落ちたこともあり、近郊を通ると胸が張り裂けそうになる。

 

 

皆親は、結果一貫校に行かなくてよかったなどと他の道を選べたから

などというが、それは自己暗示であって実際の事実なのかはわからない。

けど子供の人生は、進んでいくわけで小学校受験をして正しい道だったのかどうかはわからない。

 

見えないみたこともない世界を見せてもらったことも事実だ。

 

話を戻すと、

謝恩会、卒園式とともにKerry祭りだった(HERMESの高級100万台のバック)

あの人は何色?あの人はあのサイズなどと、値踏みをされていたことだろう。

我が家は、普通のブランドバッグ。

 

この世界なのだ。

 

子供を通じて、親を見定め、値踏みされバック、小物をチェックされ、

お金があるご家庭は楽しいだろうが、一般家庭にとっては辛い。

 

幼児教育ってもっと楽しかったはずなのに。

というのが卒園してからの感想だ。

 

今日はここまで。

 

 

小学校受験が終わった今。

すでに数ヶ月経っているが、

小学校受験が終わった。

第一志望にはご縁なく

第二志望は二桁目の補欠、縁故が強い?と言われている学校ですが、

連絡来るはずもなく、模試でビリから2番目だったのに大奮闘しました。

 

第三志望はご縁があり、受ければ受かる程度と聞いていて子どもの学力ではなく、

親が同じ教育方針で未来の受験に対して共感しているかどうか、が重要でこれが

合格の秘訣なのだろうきっと。

 

国立は、茗荷谷三校は一次のくじで敗退。

他の国立は、最後のくじで、息子に引かせたけど落ちた。

 

 

この敗北感に立ち直れてない2月今。

何か間違っていたのか、何が足りなかったのか、見えてきているけど

軌道修正にかける時期でもある。

入学式になれば、何か変わるのかな。

 

まずは家庭学習はみっちり行うべく、色々試行錯誤しています。

 

 

小学校受験とは親の忍耐と我慢だというけれど、、、

今日も考えさせられました。

息子が発問すらも聞き取れないことに対して、私の怒りが抑えきれず。

怒涛のように負の負パイラるが流れ出し、言ってはいけないこと、

言っても何も利益にならない事

未来にも繋がらないことが溢れ出しました。

 

お金の事も、将来のことも、目指すべきことも、

全てにおいて不安要素が多くてここ数ヶ月地に足ついている感じがしません。

目指しても通えるのか、通わせれるのか、

けど知育は止めたくなく親族の中でも一番知育が遅れていて

くもんすらも、多分姪っ子たちの方が優秀だろう、きっと。

もう辞めてしまったけれども、今も続けていたらそうだっただろう。

 

男のだから遅くていい訳でもなくできる子はできる。

 

第3回目の模試の結果が帰ってきた、39点(前回50点、49点全て100点満点)

偏差値未測定。

 

基礎だけでも取れてればと願ったが、回答用紙にすら印もつけていない。

答案用紙の最初に、

・キョロキョロせずにちゃんと座りましょう

・初めという合図で始めましょう

・やめという合図で辞めましょう

 

最低限のルールすらも守れなくなっている、第3回目。

本番まであと数ヶ月。

 

このままでいいのだろうか。

相対評価の中で生活していると、凹まざる得ない。

 

私の母親力が圧倒的に足りないのと私もバカな親なのだきっと。

子育て、教育ってこんなに辛いものなのかな。